あのひとらしく
多系統萎縮症という難病で、夫が旅立ってしまった
当時は覚悟はありながらも
ずっとこのまま いっしょに人生歩んでいけるだろうと・・
でもその日は やっぱりどうしてもやって来た
「難病友の会」に、ひとりで足を運んだ時
どなたも
この病気と 真摯に向き合い 受け止め
前向きに捉えて 克服していこうという
心意気が盛んに見えた
歩いて来られた方は 本当に眩しく感じた
それなのに 私は、というと
仕事をしなければ 生活が立ち行かないため
病気の夫を寝たきりにさせ
リハビリなど 皆無の状態のなか
どんどん関節が硬くなっていくのを
目の当たりにしている 自分を責めた
難病支援センターの方からの
「それは違いますよ」との言葉でも
ただ涙がぽろぽろ こぼれるばかりだった
病状はすすみ、病院から 本人の病状の安定からして
肺炎の抑制と 痰吸入もし易くなると
気管切開をすすめられた
これで声帯も ふさがれてしまう事、
切開される本人の状況を思うと
どうしようもなく、どうしようもないけれどと、
ぐっと心を畳むしかなかった
本人は 敏感に感じ取り、
ブルブル体がおどった。
言葉の発声は ほぼできなくなっており
細かい心情なども 伝える事はできなくなっていたけれど
怖いんだ、不安なんだ、
でも私には、生きたいんだ!と感じられた。
気管切開手術は受け、その後 転院を促された
受け入れ先はなく 人工呼吸の患者さんのみ 受け入れる病院に
なんとか入院を受け入れてもらえた。
でもその日のうちに、電話で「人口呼吸になりました」と連絡がきた
最初からそのつもりで受け入れたんだ、と思った
こうして 病院第一で命を削られていくんだ、
本人の尊厳など 病院という店では 知る由もないのだと、
無念な気持ちでいっぱいだった
見舞いの枕元では 言葉がけを感じて
いつも 涙が頬をつたっていた
でも 自虐ネタなど面白おかしく話すと
顔をくしゃくしゃにして笑ったり
だまって 柔らかい笑みを返して 聞いてくれたりと
おもいっきり おしゃべりし合ってるようにも思えていた
こうして
人として 口から物を食べたり 飲んで喉を潤すなどという
人として当たり前の事を いっさい遮断されたのに
なおも この病気を受け入れ
魂でもって生きていることの、
とてつもない 命の尊厳を ただただ、感じた
そんな夫が 本当に 尊大な人に思えた
こんななか、私に何ができるだろう、
知恵がほしいと思った
いま、本人にとって いちばんの生きる糧になる事は なんだろうと、
そうだ!
「こころ」をあげよう
「こころ」はいくらでも あげられる
たくさん、たくさん 心のうちを 素直に差し伸べよう、
後悔のないように、今まで かっこつけて言わなかったことも
病気になって身をもって 私に気づかせてくれた事を
「あなたは大事な存在だということ」
「あなたみたいな いい人を、他に知らない」
「あなたが先に逝ったら 天国の上の、その上の方に登っちゃうけど
私は死んだら、下の方にしか行けない、あなたは上の方から 私に会いにきてくれる?」
そんな事を いっぱいいっぱい 話しかけた。
結果、延命措置といわれることは すべてさせてしまったけれど
息を ひきとる寸前まで
涙ぽつんと したり
柔和に ほほ笑んでくれたり
最後まで、「あの人らしく」
私たちにとっては かけがえのない 人だった。
そして、
自らはどんなに苦しく 計り知れない 思いをしながらも
自分が生きる事で
私たちに 元気を与えていることの
価値を受け入れてくれた
仏のような人だった。
天国に旅立ってしまってから 心から思った、
「いとしい人だった」と
これは言えなかった
これも言いたかったなあと・・